なんだろう、この感覚。
仕事では4年目になり、それなりに重要な案件が割り当てれられ、忙しくもやりがいを感じているし、
プライベートでも、ありがたいことにほぼ毎日予定が埋まっているにも関わらず、だ。
奮発して美味しいものを食べたり、気が置けない友達をおしゃべりしていても、趣味のランニングをしても、サウナで整っても、思う存分に買い物をしても、なぜか心に穴が空いている感覚がある。
なぜだろう、今まではそんなことを感じたことがなかったのに、自分がやっていることが全て空虚に感られるのだ。
満たされている感覚がしないことについて、自分なりに考えてみた。
生きていくにあたって、こんなにネガティブな感情は邪魔以外の何物でもない。
考えるにあたって、筆者は高校1年生の時から現在まで毎日日記を書き続けているのだが、簡単に過去の内容を振り返ってみた。大学時代までは「満たされていない」を感じることがなかったので、当時の考え方などが見えてきた。
日記を見返していると、当時と今のある大きな2つの違いに気がついた。
簡単にまとめるとこの2つであった。(これは筆者と同世代かつ似たようなレイヤーの人に共感いただける箇所があり、解決に向けてなんらかの良い影響があれば幸いだ。。)
自分なりの考えを簡単にまとめてみた。
①自分が何者にもなれない不安
これまでの人生を振り返った時、いわゆる人生の分かれ道(大学受験や就活)で、なんとなく周囲から高く評価される選択をしてきた。もちろん、そのためにはそれなりの努力はしてきた(つもりだ)し、目的と熱量を持って取り組んできたと思っている。
恥ずかしい話だが、世間一般的に高く評価される方を選ぶことで、自分は何者かになった気でいた。
ー世間知らずもいいところだが、全然違う。
先ほどから「何者」と言うワードが頻出しているが、明確な定義はない。
ここでは「自分の好きなことが仕事になっていて、それが周囲に一定以上の水準で評価されている人」をイメージしていただけると幸いだ。。
そう考えた時に自分はどうだろうか?(何者になるためへの道筋を歩めているだろうか?)
好きなこと(文章を書くこと)が高く評価されているか?そもそも、今の仕事は本当に天職か?もっと言うと向いていないにしても立ち向かう努力ができているのか?・・・頭が痛くなった。
今している努力(仕事であれば毎日22時近くまで残業し、気合いで仕事を回すことや、このブログ運営)が本当に自分がしたいことに直結している気がしていないような気がした。これが「満たされていない」気持ちの正体なんだ。目の前のタスクに追われてると、瞬間風速では充実感があるが、本当の自分の目標を見つめた時に現実に打ちのめされるのだと感じた。
もっと、自己有能感というか、目標へのロードマップを明確にする必要がある。
②承認欲求の呪縛
これまでの人生で、常に誰かが自分に対して興味関心を抱いてくれていたと感じる。
しかし、歳をとり、それぞれが自分のやりたいことへ突き進む中で、自分の人生に忙しくなり、
誰も自分に興味がないんじゃないか?そんな焦燥感を抱くようになった。(もちろん、結果を残せていない自分が悪いのだが。)
複数人の友人で会っている時、自分への質問が少ないことを感じてしまう
自分との約束の優先度が低いと感じてしまう。
LINEの返信が返ってこない時間があると不安になる。
ー自身の無力さを感じる機会が多くなった。
自己承認欲求は諸刃の剣だと感じる。うまくエネルギーに変えていかないと。