クリスマスやイベントごとは1人で過ごすのは寂しい・・・。
そういった思いから、好きでもない人と一緒に過ごす人が自分を含めて周りに多い。
そのことについて、肯定も否定するわけでもない。
ただ、個人的な意見としては、好きでもない人と一緒に過ごすくらいであれば、
僕は1人で過ごしていたいし、ベターな選択であるように感じる。
上記のことを考えるに至った経緯としては、社会人2年目(24歳)の時のクリスマスに遡る。
転勤で仙台への赴任中に、大学時代から付き合っており、遠距離恋愛をしていた恋人から別れを告げられた。
このままだと縁もゆかりもない土地で、クリスマスを1人で過ごすことがほぼ確定していた。
振り返ってみると、クリスマスはいつも家族、友人や恋人と過ごしていた。
なので、「クリスマス=誰かと一緒と過ごすもの」という考えが根底にあり、1人で過ごすクリスマスをどうしても想像できずに戸惑っていた。(今考えるとなぜこんな些細なことで悩んでいたのかと笑ってしまうのだが、当時は深刻な問題であった。)
キリスト教徒でもあるまいし、12月25日をただの休日と考え、
1人でどこかへ出かけたり、お酒を飲みながら本を読んだりして過ごせばよかったのだが、失恋のショックも相まって、魔が差してしまったー。
クリスマス直前にマッチングアプリを登録し、
マッチして意気投合した女性とクリスマスディナーを過ごす約束を託けてしまったのだ。
当日はお酒を飲んでいたことや、相手の女性も筆者と同じような状況であることがわかり、非常に盛り上がり(記憶が正しければ)3軒ほどハシゴした。
しかし、ふと家で1人になった瞬間、虚しさや寂しさが込み上げ、涙が溢れてきたのだ。
※相手の女性も同様の気持ちになっているのでは?と考えると申し訳なさが倍増した。
なんでそんな思いがこみ上げてきたのだろう?
自分なりに気持ちの整理したところ、1つの考えにたどり着いた。
それは、寂しさを人で埋めることは、瞬間風速では1番楽な選択であるが、長い目で見ると「負債」になっていくということ。
負債とは、きちんと自分自身に向き合わずに気持ちのいい方へと向かってしまう「逃げ癖」がついてしまうというような。
寂しさに対して、人に頼らず自分1人で処理できるようになってこそ、大人へ近づいていくんだなと実感した出来事であった。
冒頭にも記載したが、クリスマスを好きじゃない人と過ごすことを否定するつもりはない。(少なくとも、自分も同じようなことをしていた。)
ただ、いつかのタイミングで根底にある「寂しさ」と向き合うタイミングが出てくるはずだ。
そういう時に、1人で対処できるように常に自分自身を向き合い続ける必要があると考えている。