この言葉が本当に真理だと思うので、思うことをつらつらと書いてみる。最初にこの言葉に出会ったのはTwitterでバズっていた以下のツイートがきっかけだ。
「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』が重要らしいよ」と友達が教えてくれて、その通りだなあと思ったので書いておきます。
— ヒャダイン こと 前山田健一 (@HyadainMaeyamad) April 28, 2019
当時は23歳(社会人になりたての頃)の時に出会った言葉だったのだが、あれから時間を経て、言葉の受け取り方が違ってきたというか、本当の意味で腹落ちしてきたように感じているので、心境の変化などを含めて書いてみる。
学生までの恋愛を振り返ると、やや言葉がよろしくないが「あの人と付き合っている自分が好き」「あの人と付き合うことで羨ましいと思われたい」という自分本位な思いが強かったように思う。
いわゆる理想的なデートをInstagramなどにアップして、友人からの羨望のコメントをもらって幸せを感じるというような。その人を一緒に過ごす時間よりも、「デートでここに行ってるセンスのいい自分」が好きだったと思う。だから、相性(会話のテンポや趣味が合う)はすごくいいのに、その子と付き合っても周りから羨ましいと思われないと感じると、付き合うことなんてほとんどなかった。
そんな考えを持っていた僕だが、付き合って別れたり、振ったり振られたりを繰り返していくうちに、とある考えにたどり着いた。それは、
『誰と大切な時間を過ごしたいか』ということ。
もっと言うと『誰と一緒にいる時に幸せを感じることができるか』だ。
今までそんなこと考えてもみなかった。でも、思い当たる節はたくさんあった。例えば僕の場合、幸せを感じる瞬間というのが、「ありのままの自分を受け入れてもらえている」と心の底から実感できる時だ。そして、僕自身、素の部分はポンコツなところもあるが、明るくて、人のために尽くせるし、利他的な面もあったりして(自称)結構好きだったりする。
これまでの人生の中で、周りから格好良い、すごいと思われたいというと思いが強すぎて、恋人といる時に一緒にいる時間が好きと感じることがなかった。そもそもは自分はエゴだし、ありのままをさらけ出そうとする努力もしていなかったので、原因は僕自身にあるのだが、、、。事実、前の恋人にも「何考えているかわからない」「1年いたけど、付き合った時から深い部分が全然見えない」などと言われたりしていた。
無論、こんな自分のことはお世辞にも好きとは言えなかった。
でも、今ならわかる。本当に大切なのは、「誰といる時の自分が好きか」ということが。
この人の前だと、見栄を張ってしまう、弱いところを見せられない、この人に合わせてあげよう(背伸びしよう)なんて結局幸せになんてなれないと思う。
実はこの言葉、上記のように思うきっかけを与えてくれた女性がさりげなく言っていたので、いい機会だと思い執筆に至っている。お酒も入っていて、やや記憶が曖昧なのだが、とあるバーでデートしていた時に僕から「どんな人が好き?」と聞いたら「この人といる時の自分のこと好きだと思えたら」と答えが返ってきた。
僕はこの人といる時の自分のことがとても好きだった。ちょうど仕事で失敗し、プライベートの予定を詰め込みすぎてかなり苦しい時期だったのだが、会うと不思議といつも前向きになれたし、素をさらけ出すことができた。一緒にいる時間が好きで、一緒にいる、そんな感覚であった。大事にしたい感覚だなと心の底から思った。
つらつらと書いたが、誰といる時の自分が好きか?を常に考えるようになった。でも、それって恋人関係だけでなく、友人関係にも言えることだな〜と書きながら思った。それが、時間と自分を大切する1番の近道だ。
とても分かる、それなという感じ。