最近、色々とキャパオーバー気味になっているので、頭をリフレッシュされるために村上春樹さんの「カンガルー日和」という短編小説集を読んでみた。どの作品も独特な世界観で面白く、気がついたら1冊を読了していたのだが、1遍だけ、非常に印象に残った作品があった。
『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子と出会うことについて』
という短編小説だ。なんというか、既視感というか、昔持っていた感情を思い出したような感覚になった。
Contents
あらすじ
4月のある晴れた朝、原宿の裏通りで「僕」は100パーセントの女の子とすれ違う。
50メートルも先から「僕」には、彼女が100パーセントの女の子であることがちゃんとわかっていた。
正直に切り出した方がいいのかもしれないが、あなたにとって私が100パーセントの女の子だとしても、私にとってあなたは100パーセントの男じゃないのよ、と彼女は言うかもしれない。
花屋の店先で、「僕」は彼女とすれ違う。彼女はまだ切手の貼られていない白い角封筒を右手に持っていた。
振り返った時、彼女の姿は既に人混みの中に消えていた。
もちろん今では、その時彼女に向かってどんな風に話しかけるべきであったのか、僕にはちゃんとわかっている。
その科白は「昔々」で始まり「悲しい話だと思いませんか」で終わる。
「昔々」100%の異性だということを確かめ合っていた男女がいた。
「ねえ、もう一度だけ試してみよう。もし僕たち二人が本当に100パーセントの恋人同士だったとしたら、いつか必ずどこかでまためぐり会えるに違いない。そしてこの次にめぐり会った時に、やはりお互いが100パーセントだったなら、そこですぐに結婚しよう。いいかい?」「いいわ」と少女は言った。
しかし、その年の冬、二人はその年に流行った悪性のインフルエンザにかかり、何週間も生死の境をさまよった末に、昔の記憶をすっかり失くしてしまったのだ。
なんとか2人とも一命を取り留めたが、別々の道を歩むことになる。互いに75%や85%の恋愛をしながら時を経て、4月のある晴れた朝、原宿の裏通りで100パーセントの異性だということを、互いに心の中で感じながら出会うことになる。
だが、ふたりは言葉を交わすこともなく、すれちがってしまう。
「悲しい話だと思いませんか」
感想
なんだろう。初めて読んだ文章なのに、この突き刺さる感じ。
個人的な感想から書いてしまうと、単なる妄想をここまで書き上げてしまう世界観が魅力的すぎるし、
自分自身も日頃から近いことを考えている(妄想している)からこそ、既視感があるのかなと思った。
例えばこの人との出会い方や出会った時期が違ったら、、、と考えてしまうことがあるし、
もしかしたら既に100%の女の子に会っているが、何らかのすれ違いでもう2度と交わることはない運命に立たされているのでは?と不安に駆られた。
運命は、小さな偶然の積み重ねでいくらでも変わってしまう、儚いものだと感じた。
ちなみに、この作品の結末はこうだ。
そして四月のある晴れた朝、少年はモーニング・サービスのコーヒーを飲むために原宿の裏通りを西から東へと向い、少女は速達用の切手を買うために同じ通りを東から西へと向う。二人は通りのまんなかですれ違う。失われた記憶の微かな光が二人の心を一瞬照らし出す。
村上春樹「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
一度すれ違った運命は巻き戻すことはできず、本作に登場する男女も、運命ではなく、単なる偶然で結ばれていたに過ぎないのだ。
悲しい話だと思いませんか。