好きなアーティストだれ?とか好きな小説家だれ?という会話になると、何を持って好きと言えるのか基準が不明確になっていると感じることが多い。例えば、「好きな作家だれ?」と聞かれ、「村上春樹さんかな」と答えた時、「そうなんだ!ノルウェイの森や1Q84以外でおすすめある?」となり、返答に詰まってしまうとなんだか期待を裏切ってしまう感覚になる。何をもって好きなアーティスト(または作家)なのか、ぜひはっきりさせようじゃないか、ということで自分なりの考えをつらつら書いていく。
なかなかダイレクトに答えを出すのが難しい質問なので、定量的/定性的の2軸で考えていくことにしてみる。両方ないし片方でも当てはまったら、満を持して好きなアーティスト(または作家)として回答していいのではないか。
もちろん、好きは人それぞれなので、当てはまらないからと言って、好きと言うなというわけではない。あくまで個人的に追求したいから書いているに過ぎない。
定量的に考えると、10作品以上回答できたら?
好き=そのアーティストのことをどれくらい知っているか?に依存すると思う。例えば、有名作家(冒頭に例に出した村上春樹さん)は、特別思い入れがない人でも、2〜3作品は挙げることができるはずだ。
では、いくつ作品名を回答することができれば良いか?
結論から言うと、10作品が1つの目安になってくるように感じる。
感覚的な理由になるが、やはり有名作家だとファンでなくとも話題となっている2〜3作品には触れていることが見込まれる。(例えば、僕は朝井リョウさんの大ファンというわけでないが、『何者』、『正欲』や『桐島、部活やめるってよ』はおさえてあるように。)
では、5作品でいいのでは?
これもやや足りない。またまた朝井リョウさんを例として出してしまうのだが、僕自身『正欲』や『何者」を読んで、もっと他の作品に触れたい!と思った。その結果、『もういちど、生まれる』や『スペードの3』というようないわゆる話題作ではないが、魅力的な作品に触れた。
でも、これ以上の作品に触れることはなかった(朝井リョウさんの作品がつまらないとかそういうわけでなく、純粋に他の作品を読みたいと思うようになったからだ。)
これが、5作品では好き!というには少ないと感じる理由である。
では、好きになった時はどうなるのか?
僕は好きなアーティスト(作者)を聞かれた時、迷わず「村上春樹さん」と答える。
話題作はもちろん、『雑文集』などのエッセイから『The Long Goodbye』などの村上春樹さんが影響を受けた(または、翻訳に携わった)作品まで読んでいる。
確かに文章は長いし、ほぼ全ての作品が上下巻となっているため時間もかかる。それでも、読み始める時・読み進めている間のワクワクはそれに勝るものがある。すると、気がつくと10作品以上にいつの間にか触れている。
個人的な感覚に依るところが大きいが、これが定量的好きの1つの基準であると感じる。
定性的に考えると、相手の感情に寄り添って作品をおすすめできる時
これは非常に感覚的な話になるが、例えば友人が落ち込んでいるとき、失恋した時、大きな人生の転機があった時に、「こういう時はこの作品を読むといいよ」と差し出すことができたら、アーティスト(作家)の思いを汲み取り、自分なりの感情とマッチできているという理由から、定性的好きの基準を満たしていると思う。
具体的に言うと、5年以上付き合った恋人と別れた友人が「おすすめの本」をSNS上で募集していた。僕はきっと、その友人は「別れなかったらどんな未来があったのだろう」「別れるという選択は正しいのか?」を悩み、落ち込んでいると思った。
そんな時に差し出したのが、角田光代さんの『平凡』という本だ。
あらすじを簡単にいうと、自分がしなかった選択に後悔を持っている人の心情を(いい意味で)だらだらと描き、平凡というのがいかにつまらない(人によっては幸せ)かについて書いている作品だ。
友人は『平凡』を読むことで、自身の悩みや平凡に対しての答えを持つことができるきっかけだと思い、友人がした選択には間違いではないというメッセージを含めてすすめた。(もちろん思い違いだった可能性もあるが、読んで良かったと言ってもらえた。)
こんな風に、人の気持ちに寄り添って作品を差し出すことができたら、それは定性的好きに当てはまると思う。
■参考にした本
書きながら納得する部分もありスッキリした。もちろん、好きには人それぞれの基準がある。ただ、こういう小さな議論でも自分なりの考えを持っていたいと書きながら思った。
なるほど〜!
相手に寄り添って好きな作家の作品をおすすめできる、、、私はまだまだだなあ…(ちなみに佐藤正午が好き)