最近読んだ小説『終わった人』で、このフレーズと出会い、思うことがあったので書いてみる。
他人の中の思い出に勝てても、自分の中の思い出に勝つなんて、こんな無謀な勝負はないと思う。
でも、これはわかっていても難しい。
恥ずかしながら、思い出と戦ってしまうのは、僕自身の悪い癖でもあった。
仕事や人生に行き詰まると、
過去の写真とともに当時の思い出を振り返り「あの頃は楽しかったなあ」と現実逃避してしまったり、
順風満帆に成果を残せていた当時と比較して、自己嫌悪に陥ってしまうー。
現実にうまく向き合いことができずに、事態が悪化する。気持ちいい方向に逃げてしまう。悪循環に陥ってしまう。
そんな自分が嫌いだったし、内面的にも「このまま一生過去にすがる」自分のことを容易に想像できて、不安だった。
そんなことを思っている最中、この言葉に出会った。
「思い出と戦っても勝ち目はないよ」
この言葉が登場する『終わった人』の作中では、
サラリーマンのエリート街道を歩んでいた主人公が、目指していたポジションに就くことができず定年退職し、その後生きがいを感じられる仕事に就くのだが、人生を左右するほどの大きな挫折をする。
全てを失い路頭に迷う主人公が、家族から投げかけられる言葉だ。
主人公はこの言葉を受けて、
仕事への未練を成仏できていなかった。
過去の幻想をとらわれ過ぎていた。
もっと向き合うべき課題があった。
様々な思いを逡巡し、人生の大きなけじめをつけるー。
思い出に囚われたから失敗したのか?
本作ではそこには触れられていなかったが、物語の1つのトリガーとなっているのは確かだ。
主人公の結末が切なすぎて、胸が苦しくなってしまった。。。
ただ、思い出に勝てない理由って要するにこういうことではないか?
それは「思い出は美化され」「過去を振り返るのは弱っている時」だということ。
前者について話すと、
今振り返ると「いい思い出だった」と言えるが、
当時はそこまで綺麗な思い出ではなかったのでは?ということ。
例えば、高校時代の部活動。
満足のいく結果をのことができたが、そこに至るまではたくさんの苦難があった。
勉強との両立、練習がきつすぎる。他にやりたいことあるんだけどな。友達ん家でオールしてええ。
そんな想いとひたすらに葛藤していた気がする。
でも、乗り越えて振り返った時に、綺麗な思い出となって自分の中にあった。
後者については、言うまでもないかもしれない。
現在進行形で充実していれば、わざわざ過去にすがる必要がない。
やや文脈とは異なかもしれないしれないが、
「大学生に戻りたい」が口癖の社会人で、チャレンジングな仕事をしている人を(記憶が正しければ)見たことがない。
今が充実していないから、過去にすがって(=思い出と戦って)しまうのだと感じる。
・・・これまで書いてきて気づいてしまった。
今が充実していないと感じても、今にきちんと向き合っていれば結果的にはかけがえのない思い出になっているということと、
思い出と戦わなくて済むくらい、今が充実していればいいのではないか?
思い出と戦うのは、今じゃない。
今回参考した小説